福岡に引っ越した理由を思い出そうとした話

Youhei Nitta
Dec 24, 2020

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「なんで縁もゆかりもない福岡に引っ越したの?」

先日同僚とオンライン忘年会をしているときに質問された。

自分は十年近く前までは東京で生活をしていたいわゆるIターン移住者で、この種の質問は知り合って間もない頃には挨拶のように聞かれるものだ。

こんなときはいつも「子育てしやすかったから」とか「ラッシュアワーがきつくてさ」などとそれらしい理由をつけて答えているのだけど、実のところぼくの側で言語化できるほど明確な回答を持っていないというのが本音だったりする。

もともと生まれたのは千葉県で今でいう美浜区の辺りに三歳になるまで住んでいた。物ごころつく前だったからほとんどなにも覚えていないが、地図を見るとずいぶんディズニーランドの近くに住んでたんだなと思う。当時はシーはおろかランドも無かったけど。

それから親の事情で東京の杉並区の大宮八幡宮のそばに引っ越してからというもの、ずっと徒歩圏内で暮らしていた。大学生になってからも所在地は世田谷区で歩いて通ったし、社会人になって一人暮らしするようになってからも世田谷の下北沢周辺で暮らしていた。幼少期も多感な時期も社会に出てからもずーっと杉並区と世田谷区の街をぶらぶら歩いて暮らしていたわけです。

流行りの街は新宿と渋谷くらいしか知らなかったし、六本木や浅草・上野みたいな他のエリアもほとんど行ったことがなかった。東京で実家暮らししていた人には身に覚えのある話だと思うけど、上京してきた同級生がどんどん東京に詳しくなっていくなかで取り残されている自分はいつでも道案内してもらう立場だった。

今でも自分のルーツを感じるのは杉並区と世田谷区であり井の頭線沿線の風景であって、都内とは思えない大宮八幡宮の豊かな緑や下北沢の猥雑な雑踏を歩くと「帰ってきたなあ」と感じる。今年の二月を最後に東京には帰ってないから少し恋しい。

書いていて少しずつ当時の気持ちが思い出せるようになってきたので冒頭の質問にもどってみる。結局のところぼくは東京と福岡を比較検討した上で冷静に判断を重ねて福岡に引っ越したわけではない。おそらくそれまでに知り合ったたくさんの人が経験している「人生の片道切符」、これを自分が一度も手にすることもなく東京で暮らし続けることに茫漠とした閉塞感を感じていたのかもしれない。たぶん。

ずっと同じところで暮らしていると、大事にしたいこと、大事にすべきこと、大事にしてること、その三つ全部が時の流れと同じだけ膨大に積み重なって意識が混濁としてくる。だんだんと優先順位をつけるのが難しくなる。ぼくの場合はそれが32年分積み上がっていて、自分の処理能力を遥かに超えてアタマの中が混線してしまっているのを感じていた。

あの頃の自分はそのすべての優先順位を一度整理してバランスを取ることよりも、そのとき自分が大切にしたいことだけを最優先にできる環境を「片道切符」を得ることで手に入れられると想像していたし、そのときの自分にはそれ以外の選択肢はないように思えた。

突然引越しをすると話して当時の勤め先・友人・家族には驚かせたかなと思う。特に東北出身の親からすれば福岡は遠い異国のような場所に感じられて心配させたかもしれない。二人で呼子の烏賊を食べに行ったときに「福岡に引っ越して本当に良かったね」と言われたときは、胸のつっかえが取れたような気持ちになったのを憶えている。

三年ほど前だったか、年末年始に東京に一家で帰省したときに羽田に着陸した飛行機の中でも復路で福岡空港に着陸した瞬間もどちらもまったく同じ心持ちで「帰ってきたなあ」と感じた。ふるさとが二つもあるなんて贅沢な話だなと我ながら思ってしまう。

宗像大島の夕陽

この記事は、#みんなの移住 国内移住・海外移住 Advent Calendar 2020 の24日目の記事でした。メリークリスマス。みなさまが心穏やかに年末年始を過ごせますように。

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Written by Youhei Nitta

I’m a software engineer who works in Fukuoka. These writings are not about the engineering. @youhei

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