「なんで縁もゆかりもない福岡に引っ越したの?」
先日同僚とオンライン忘年会をしているときに質問された。
自分は十年近く前までは東京で生活をしていたいわゆるIターン移住者で、この種の質問は知り合って間もない頃には挨拶のように聞かれるものだ。
こんなときはいつも「子育てしやすかったから」とか「ラッシュアワーがきつくてさ」などとそれらしい理由をつけて答えているのだけど、実のところぼくの側で言語化できるほど明確な回答を持っていないというのが本音だったりする。
もともと生まれたのは千葉県で今でいう美浜区の辺りに三歳になるまで住んでいた。物ごころつく前だったからほとんどなにも覚えていないが、地図を見るとずいぶんディズニーランドの近くに住んでたんだなと思う。当時はシーはおろかランドも無かったけど。
それから親の事情で東京の杉並区の大宮八幡宮のそばに引っ越してからというもの、ずっと徒歩圏内で暮らしていた。大学生になってからも所在地は世田谷区で歩いて通ったし、社会人になって一人暮らしするようになってからも世田谷の下北沢周辺で暮らしていた。幼少期も多感な時期も社会に出てからもずーっと杉並区と世田谷区の街をぶらぶら歩いて暮らしていたわけです。
流行りの街は新宿と渋谷くらいしか知らなかったし、六本木や浅草・上野みたいな他のエリアもほとんど行ったことがなかった。東京で実家暮らししていた人には身に覚えのある話だと思うけど、上京してきた同級生がどんどん東京に詳しくなっていくなかで取り残されている自分はいつでも道案内してもらう立場だった。
今でも自分のルーツを感じるのは杉並区と世田谷区であり井の頭線沿線の風景であって、都内とは思えない大宮八幡宮の豊かな緑や下北沢の猥雑な雑踏を歩くと「帰ってきたなあ」と感じる。今年の二月を最後に東京には帰ってないから少し恋しい。
書いていて少しずつ当時の気持ちが思い出せるようになってきたので冒頭の質問にもどってみる。結局のところぼくは東京と福岡を比較検討した上で冷静に判断を重ねて福岡に引っ越したわけではない。おそらくそれまでに知り合ったたくさんの人が経験している「人生の片道切符」、これを自分が一度も手にすることもなく東京で暮らし続けることに茫漠とした閉塞感を感じていたのかもしれない。たぶん。
ずっと同じところで暮らしていると、大事にしたいこと、大事にすべきこと、大事にしてること、その三つ全部が時の流れと同じだけ膨大に積み重なって意識が混濁としてくる。だんだんと優先順位をつけるのが難しくなる。ぼくの場合はそれが32年分積み上がっていて、自分の処理能力を遥かに超えてアタマの中が混線してしまっているのを感じていた。
あの頃の自分はそのすべての優先順位を一度整理してバランスを取ることよりも、そのとき自分が大切にしたいことだけを最優先にできる環境を「片道切符」を得ることで手に入れられると想像していたし、そのときの自分にはそれ以外の選択肢はないように思えた。
突然引越しをすると話して当時の勤め先・友人・家族には驚かせたかなと思う。特に東北出身の親からすれば福岡は遠い異国のような場所に感じられて心配させたかもしれない。二人で呼子の烏賊を食べに行ったときに「福岡に引っ越して本当に良かったね」と言われたときは、胸のつっかえが取れたような気持ちになったのを憶えている。
三年ほど前だったか、年末年始に東京に一家で帰省したときに羽田に着陸した飛行機の中でも復路で福岡空港に着陸した瞬間もどちらもまったく同じ心持ちで「帰ってきたなあ」と感じた。ふるさとが二つもあるなんて贅沢な話だなと我ながら思ってしまう。
この記事は、#みんなの移住 国内移住・海外移住 Advent Calendar 2020 の24日目の記事でした。メリークリスマス。みなさまが心穏やかに年末年始を過ごせますように。
20代の頃、クリスマス前後はだいたい下北沢のロックバーにひとりで行って飲んでいた。
20代でそれは侘しいといえば侘しいけど、特にそのことで疎外感や孤独を感じたこともない。昔からぼーっとした性格なんだろう。とはいえ最近のソーシャルメディアなんかで敏感な若者がクリスマスに対するヘイトを書き込んでいるのを見ると、ぼーっとした若者で良かったなあとも思う。
当時は下北沢に住んでいてビーチ・ボーイズの未完成アルバムと同じ名前のバーに行き、そこで彼らのクリスマスアルバムを聴くことが多かった。
もしかしたら彼らは一般的には夏のイメージがあるのかもしれない。でも、このアルバムはそのイメージを打ち破り後期の極彩色の世界の萌芽を感じさせるという意味でもおもしろいアルバムだと思う。
このアルバムで一つ気になっていることがある。サーフィン嫌いにも関わらずサーフミュージックの立役者になったブライアン・ウィルソンは、クリスマスについてはどういう感情を抱いていたんだろうということだ。
彼の幼少期や父親との関係を思うと、このアルバムのジャケットのような一家団欒を想起させるようなクリスマスパーティはどこか遠い世界の出来事に感じられたんじゃないだろうか。
ぼくにも少しだけそういう気持ちがわかる。
このアルバムはすごく良いアルバムだけどお店でリクエストするには注意が必要だ。
最後の曲は Auld Lang Syne、つまり『蛍の光』だから店内がなんともいえない雰囲気に包まれることになるから。
この記事は 好きなクリスマスソング Advent Calendar 2015 の6日目の記事です。昨日は taketin さんで、次は12/9 の misumi_takuma さんです。
最近のお気に入りは、本のアプリ 「Stand」。
かいつまんで言うと「ブクログ」や「読書メーター」に代表される読書系SNSのひとつ。自分も最近ご無沙汰しているけれどブクログや Goodreads は使っていた。
これらと比較して後発の Stand の良さは、新しい本との出会いを楽しめる頻度が驚くほど高いことだと思う。
スマートフォンでなんとなく起動してタイムラインを眺める。すると、毎回のように「そそられる」本に出会える。
選者のおすすめコメントも書評というほど長くはなく(スマートフォン専用だから自然とそうなる)、さながら書店のPOPのような簡潔だけど人を惹きつける内容で思わずクスッと笑ってしまうものも多い。
リリース間もないのにこのような醸成されたコミュニティを持つのはアプリを手がけた方々が無類の本好きであることが大きいのだと思う。リリース当初からクチコミで広まったためか、本好きや本屋好きの人、あるいは関係者を多く集めることに成功していて、それがシンプルを徹底したサービス設計と相まって全体の心地良さにつながっている。
周囲の本好きに勧めてみた反応をみても、どちらかというと「ネットが苦手で紙の本が好き」というタイプの人を魅了するアプリだと思う。
それだけにネットを敬遠している地方都市の本屋、古本屋、ブックカフェなどにどんどん広がっていって欲しい。こういった人たちがファッションに敏感な層が Instagram を使いこなすみたいに、センスのある掘り出し物の本を気軽に Stand にポストしていったら、と想像すると楽しくなる。
実際にアプリ内で書店向けにサービスカードの設置を呼び掛けていたりして、リアル書店をかなり意識しているようだ。
ちなみにこのアプリを見て自分にとって最初のフックになったのは「下北沢発」だったことだ。昔住んでいて福岡に引っ越した今もたまに訪れるこの街が自分は大好きだったからだ。
ネット業界で下北沢といえば有名なのはなんといってもサブカルニュースサイトの natalie だろう。Stand も利用者が増えて本との出会いを楽しむ人が増えると最高だな、と陰ながら応援している。
自分にとって Facebook はいつから友人の近況を確認し合うサービスじゃなくなったんだろう。
いつなのかはっきりとはわからない。ただ、いつの間にかビジネスニュース、技術情報、企業広告の飛び交う場と化していて友人の近況の割合が明らかに減ってしまっていた。時系列に並んだ情報の文脈があまりにもバラバラで読んでいて妙に疲れる場所になっていた。
そんな折 VentureBeat で “How to fix Facebook’s News Feed” っていう記事を読んで(皮肉にもこの記事も Facebook でみつけた)、自分の News Feed もすっかり「壊れて」しまったんだなあと再認識した。
対策は大きく分けて五つ書かれていた。
3 から 5 は抵抗ある人が多いと思う。
自分も 3., 4. は抵抗があったので、1, 2, 5 を試しにやってみた。
中でも 5 はすごい効果があった。300 以上「いいね!」した Facebook Page を 30 くらいまで減らしてみたところ、自分が求めていた「友人同士の近況を伝え合うサービス」という本来期待してたものが戻ってきたように感じられた。ただ、急に大量に Unlike したからページ管理者の方には訝しがられたかもしれない。
実は既にこの状態で一ヶ月近く運用していて、本当に快適になったなあと感じる。
一方で投稿内容にも時流の変化を感じた。最近は単に近況を書いたり写真を投稿するよりも URL を貼って何かしらコメントをする投稿が主流になっているようだ。自分の周囲が Web 関連企業で働く人が多いからというのもあるとは思うけど(自分もそういう投稿が多いし)。
個人的には肩肘はらずに日常を記している投稿の方が読んでいて楽しいのだけど、Facebook の広告占有率の高いフィードに個人的な投稿を流すことの敷居は高いだろうから難しい。
ここ最近、他にもソーシャルメディアとの付き合い方を色々変えてみて楽しんでいる。Facebook, Twitter のアプリを消してみたり。それについてはまた別途書いてみようかなと思う。
星の数ほどある新しい Web サービスにすぐに飛び付いて飽きるまで色々さわるっていうのが趣味化している。そういう趣味を持ってから何年経ったのかいくつの Web サービスにアカウントを作ったのか今となってはよくわからない。
ただそうやって色々見ていると世間の流行とは無関係な自分のツボみたいのが出来てきて、たまにそのツボを押してくるサービスに出会うことがある。
Timehop はまさにそんなサービスで、自分はすごく気に入って毎日アプリを使っている、ただ世間で流行っている感じはあまりない。サービスはごくシンプルで “What did you do 1 year ago today?” 、つまり過去のちょうど同じ日付の自分のソーシャルメディア上での行動を振り返ることが出来る、といういわゆるライフログ系サービス。
元々は 4SquareAndSevenYearsAgo という名前の Foursquare のみに対応したサービスだったのだけど、リニューアルして他のソーシャルメディアにも対応するようになって俄然おもしろくなった。Twitter の全アーカイブをアップロードする機能もあるので、過去のツイートも全て取り込める。すごく気に入ってる反面マネタイズの難しいジャンルなので、いつか終わるんじゃないかとひやひやもしている。実際に類似サービスの Memolane も2013年2月にシャットダウンの憂き目にあっている。
こういう過去を振り返るサービスの良い点は、記憶から薄れかかってる過去の自分の発言を読んだり写真を眺めたりする時間をもつことで内省を促してくれることだと思う。
昔読んだゴードン・ベルという MS Research の研究員の方が書いた「ライフログのすすめ」にも同じようなことが書いてあって共感した。ただ、この方は Web 上になんでも共有するカルチャーに関してはかなり懐疑的なスタンスであった。確かにソーシャルメディアの動向をまとめても純粋なライフログにはならないだろうとは感じる。
一方で、パブリックな場所に記録することにも魅力があって、承認欲求ドリブンで飽きずに記録し続けられたり、開発者がデータを再利用可能なので自分ではとても想像の付かない表現方法で加工された情報に触れられたりする。
まあ有り体に言えば一長一短なのだと思う。
今日もアプリを起動して今日の自分の記録(ただし数年前の)を眺めていた。
一年前の今日は StartupWeekend Fukuoka の Presentation Day の見物に差し入れを持って行っていたようだった。
二年前の今日はまだ東京に住んでいて早朝の便で福岡に来て現職のオフィスを初めて訪れていた。夜は明星和楽というイベントを楽しんで福岡のIT業界というものを体感していた。
「あの頃の自分は引越しを視野に入れていて色々そわそわしていたな」とか「ああ、じゃああの人と会ってもう二年も経つのか」とか思い出して少し感慨に耽ったりする。
Timehop の存在は今や自分にとってはソーシャルメディアを使い続けるのに十分な理由になっている。願わくば今後もサービスが続いていってくれるとありがたい。
「サイファーパンク—インターネットの自由と未来」を読んだ。ここ最近読んだ本で最も刺激的な本だった。
内容はジュリアン・アサンジ(Wikileaks 主宰)、ジェイコブ・アッペルバウム(Tor プロジェクト提唱者)、アンディ・ミュラー=マグーン、ジェレミー・ジマーマンら四人によるディスカッションの記録となっている。
Cypherpunks も Wikileaks もアンダーグラウンドで危険な匂いのする団体、という作り上げられたイメージが強い。しかしディスカッションの内容は超一流のテクノロジストかつ前衛的社会活動家たちが溢れる知性を開放し、真剣に自由闊達な議論をしている、という印象だった。読んでいて楽しめる反面、高度な内容が矢継ぎ早に飛び交っているので脚注の補足説明なしではとても理解できない内容となっていた。
全体を通底するテーマはインターネットの普及から急拡大した国家の大規模監視に対する警鐘なのだと思う。
スノーデン事件以降明るみに出た NSA による監視に関する話題が連日ニュースになっていて、民主主義と全体主義が紙一重になりつつある社会変化に多くの人が気付き始めている。しかし、普段からインターネットの便利さを享受した生活を送っている楽観的な人たちからすると「自分の生活を盗み見られてるなんてちょっと気味が悪いな」という以上の感想にはなりにくいのも事実で、この本はそこから更に一歩進んで考える機会を与えてくれる。
また、これまでいまひとつ存在理由を理解できていなかった Bitcoin についても理解できた。今日のメジャーな電子決済は全て原理上トラッキング可能なもので、この点は現実の通貨の特性とは異なっている。この本の言葉を借りれば「プーチンが VISA でコークを買ったら30秒後にはワシントン D.C. にバレている」、ということになる。この問題を解決した現実の通貨と同じアーキテクチャを持つ仮想通貨が Bitcoin、ということだ。なかなかに分かりやすい説明だった。
大規模監視の主たる問題は代替案を提示できていない現状ということにあって、あらゆる産業がインターネットに入り込んでくればくるほどその代替案も減っていくように思える。あらゆる行動は自己検閲を意識し、iPhone も持たず Google も Facebook も使わず Amazon で買い物をしない生活を送る、なんていうのは一度それを享受した人間には難しいことだと思う。
今ではポピュラーな技術になった通信の暗号化も出現当初は兵器取引のように分類されアンダーグラウンドなイメージがつきまとっていた。インターネットと経済が結び付いてブラウザにビルトインされるようになって初めて表舞台に立つことが出来た。Tor や Bitcoin も何かのきっかけでアンダーグラウンドから表舞台に引き上げられることがあるかもしれない。
Tor や Bitcoin を生み出したハッカー文化というのは、ディストピア的な未来へ向かう大きな流れに対して代替案を提示できる唯一の小さな希望なのだと思う。
ポモドーロテクニック、という時間管理術がある。最近実践してみたところ自分の性格に合っていたようでなかなか気に入っている。
説明を簡単にするために引用すると、
集中して仕事をこなすために、25分毎に時間を区切って仕事をする時間管理術。Francesco Cirillo氏が1992年、自身の勉強効率を上げるために考案した。
1. 25分を1ポモドーロとし、やるべきタスクを1ポモドーロ刻み(25分毎)に分ける。
2. 25分間は、他の事は一切やらず、タスクに集中する
3. 25分経てば、5分間の休憩を入れる
4. 4ポモドーロ毎(2時間毎)に30分程の長い休憩をとる
5. 後は上記を繰り返す
という感じのシンプルな仕組み。
実践してみると色々副次的なメリットもたくさんあったが、主なメリットは「制限時間を設けて集中することの大切さがわかる」「戦略的に休憩を取ることの大切さがわかる」の二点に集約されると感じた。
25分という制限時間があるから集中し続けられるし、休憩時間があるから集中を取り戻せる。25分間は目の前のことに集中してみて、5分間はリラックスして全体を見渡してみる。集中と休憩、緊張と弛緩、という一定のリズムがだんだん心地良くなってくる。
元の仕組みがシンプルなので、自分にあったやり方をアレンジしやすいのも良い点だと思う。
自分はこの時間管理術の肝になるタイマーには OS X 用の PomodoroApp を使用している。ポモドーロテクニック向けのタイマーはたくさんあるがなるべくシンプルなものをという事でこれになった。こだわったのは以下の条件。
時計が常に表示されていると否が応でも時間を意識せざるを得ないので、普段のちょっとした行動がどれくらいの時間がかかっていたのかが凡そわかるようになった。改めて無駄な時間が多かったことに気付かされたしその長さに驚いたりもした。
集中の質を上げるために25分間には以下のルールを課してみた。
これで聞こえるのはタイプ音と秒針の音だけになるし視覚的な割り込みも相当減る。
これはストイックな空間を演出したいわけではなくて、集中する際はこの態勢と決めておくことで NoisyTyper の音を聞くだけでパブロフの犬の如く「集中しないと!」という気持ちになる効果を期待している。実際に最近は犬のように訓練されてきたのか集中に入るまでの間隔が短くなってきた。
おおまかにはこんなやり方でやっている。朝ちょっと早めに来てその日のタスクをざっくり整理しておくのが続けるコツのような気がしている。
今のところ、メール、IM、割り込みタスクのレスポンスが若干悪くなったけどトータルとしての生産性は上がったように思う。何よりも生産性の善し悪しが体感できるので、改善していこう、成長していこう、という気持ちが自然と湧き上がるのが良い(ちょっとレコーディングダイエットぽい)。
繰り返していると自分が一日に何ポモドーロこなせるかわかってくるので今日はこれだけやったからもう店仕舞いかな、という気持ちの切り替えがし易くなってストレスも減ったように思う。
時間不足を嘆くことがままあったが、やはり自分でコントロールしようという意思を持ち続けることが大切だなと良いきっかけにもなった。
WIRED は定期購読していて、特集号も自宅に届いた。定期購読で雑誌を読むことの良さについては一家言あるくらいだけど、それはまたいずれ。
90年代の WIRED の過去記事のアーカイブが中心になっている。それ故に Apple の iPod 以降の華々しい企業ルネッサンスより PC が隆盛を極めていた時代に苦境に立っていた話が多く、最近の Apple 礼賛記事に食傷気味の人にも楽しめる内容になっている。
ただ、この構成は Apple が復調した2000年代にそれを伝えるメディアとして WIRED が日本には存在していなかったという事実に依るものなので、ある意味では不本意なのかもしれない。ただ、敢えてそこの「穴埋め」をせず US 版 WIRED の翻訳のみに留めた編集に90年代の日本版 WIRED への敬意を感じた。編集後記もそのことに触れていた。
創刊当時からの読者(当時高校生だった)としては久々に WIRED に初期のアンダーグラウンドな雰囲気が戻った感じがしてただただ懐かしかった。
OS X を Mavericks にアップデートしてしばらく経つので雑感を整理せずにずらずらと。
全体的に派手な更新はあまりなく洗練と安定を求めたアップデートという印象。最大の目玉は Compressed Memory だと思う(地味だけど)。スワップが減り全体的にきびきび動くようになった。
iCloud Keychain は iPhone との連携が便利そうではあるが、アイデンティティを Apple のサーバに預けるのに抵抗があるので使っておらず、今まで通り 1Password で運用している。
Calendar の Look & Feel が iOS っぽくなっていた。動作が軽快になっていたのでブラウザの Google Calendar から移行してみた。軽くなった理由は Compressed Memory の効果なのかもしれないしアプリケーションに改善があったのかもしれない。その辺りはわからなかった。
iOS っぽく、という所だともう一点。
Notification Center の通知を一時的にオフにする機能の名称が iOS を踏襲して Do not Disturb に変更になっていた。
Mountain Lion の頃は Show Alerts and Banners という名称で存在していた。これまでと ON/OFF の意味を完全に逆にしたのが Apple らしい変更だなあと思った。
次のバージョンは、より UI が iOS らしくなるのは間違いないだろう。iOS 6 以上にスキューモーフィズムな重厚感たっぷりのアイコンのデザインを違和感なく変えられるのかが見物だな。
全体的に OS X に新機能を求めるというより iOS に搭載されたあの機能をいつ OS X に入れるんだろう、という流れになってきた昨今。自分は次のバージョンで App Store の Automatic Update と Touch ID が入ることを期待している。
ここのところ質の高いオンライン講義を無料で提供する教育サービスが増えている(MOOC と言うみたい)。
今はまだカンブリア紀といった様相で、ここからどう進化していくのかはまだ誰にもわからないけど、とにかく盛り上がる一方という感じの分野。
ただ、Coursera や Canvas みたいな代表格のサービスを覗いてみると、ハイレベルな大学の講義がたくさんあって素直に驚く反面、ユーザーに対して高い教養と PC の所有を前提としている点が気になる。
今の MOOC は写真共有サービスで例えるとブレイクしだした頃の Flickr みたいなものなのではないだろうか。
ハイエンドカメラの所有者が PC でレタッチした写真を共有していたあの頃の Flickr と今の MOOC の状況はとても似ている気がする。
なので、そのうち Instagram みたいな教育サービスが求められるんじゃないだろうか。
タブレットとスマートフォンのみに対応した、オンライン学習の興味や機会が無かった人に響くような教育サービスっていうのがあっても良いと思う。
モバイルデバイスは PC 以上にあらゆる世界に滑り込んでいくから、そういう「気軽な MOOCs」の恩恵を受ける人たちはけっこう居るだろうな、なんてことをたまに考える。
余談だけど、個人的には iPad mini や Nexus 7 サイズのタブレットは教育分野だとどうにも存在意義を見出せない。
7インチのタブレットはあくまでも現時点の技術での現実解であって、この分野だと理想を追えるのは 9.7 インチサイズのタブレットなんじゃないかなあ。異論が多そうだけど、そう思う。
I’m a software engineer who works in Fukuoka. These writings are not about the engineering. @youhei